ホーム > 女性研究者の生き方トップ > 過去の記事トップ > 増田史子(法学研究科・准教授)

研究者になる

増田史子(法学研究科・准教授)

「国際取引法」と私

私の専攻である「国際取引法」は、伝統的な法解釈学とは違って法典より商取引の方を基点に法学をやろうという領域で、研究分野としては未成熟である。しかも、私自身は、どちらかというと成り行きでこれを専攻することになった。京大法学部4回生だったときに、当時この科目の担当であった教授から助手に誘われて、お給料つきだし何かよくわからないけれど面白そうだ、という程度の認識でこの世界に入ったのである。だから、これから研究者になろうと真摯に考えている方のお役に立つようなところはあまりないか、あるとしても反面教師としてではないかと思う。

さて、大学4年時にお誘いにはのってみたものの、その時点ではこの分野の詳細を知らなかったから、助手の間に取り組む研究テーマは、先生と相談しながら決めるような形になった。選んだのは、運送法の中で国際的に見れば比較的ホットであった「複合運送契約」である。運送法や海商法は、日本ではかなりマイナーというかマニアックな分野だが、この先生は重要な領域とお考えで、また私もなぜか気に入ったので、これは案外すんなり決まった。ただ、この先生は私の卒業と同時に定年を迎えられることになっていたので、正式な指導教授は隣接分野の別の先生にお願いし、また別の隣接分野の先生方からも、実際上は、ある程度の指導を受けられるような形にした上で、京大を去って行かれた。そしていよいよ研究を始めたときに直面したのは、国内における研究の乏しさである。法学では、外国法を調査して、そこから日本法にとっての何らかの示唆を得る、という比較法的な研究手法が一般的である。他に良い方法も知らないので、周囲を見習いつつ同様の手法でテーマに挑んだのだが、どうも何十年も前の現実を前提にしているらしい日本の議論と、現代の話をしている諸外国の議論とはうまくかみ合わない。このギャップは、議論の前提になっている法律自体がそもそも国によってかなり違うこと、日本にも似たような国際取引は存在するのに、法学研究の対象としてあまり取り上げられてこなかったことに由来する。当時はそう認識し、多少なりともこうしたギャップを縮め、現代日本の商取引にとって意味のあるものにしたくて、最初はかなり長大な論文を書いた。

こうして国際的な取引を法学研究の対象とすることの難しさを薄々感じながらも、助手論文は何とか書き上げ、2003年に助教授になったのだが、そこからは隘路にはまってしまう。元々自信の持てない性質である上に、「国際取引法」という名称によって表される対象の広さに比べて、自身が知っていることはごく限られているから、京大で公式にこういう看板を掲げるのはとにかく不安である。とりあえず知見を広げる必要があると思って、学外の研究会等にも積極的に参加するようにしてみた。そこで気づいたのは、純粋な研究者で、この看板の下で取引法を研究している方はほとんどいない、という事実である。多くは実務家出身で、経験を一つの拠り所に研究されているか、純粋な研究者であれば、実質的には隣接分野に属する方で、国際的な事案への法の適用の問題に特化して研究しておられる。しかも、それぞれやっていることはてんでばらばらである。私自身は、後者はさほど好きになれないし、正直これを取引法と呼ぶのはどうかと思うのだが、さりとて前者側に立とうとすると実務を知らないという壁にぶつかる。肩書きは役には立って人脈は広がったものの、専門分野の突っ込んだ話をできる同志は見つけられず、看板に対する責任感から不安と焦りばかり募って、仕舞にはほとんど書けない状態に陥ってしまった。国際取引では英米法のプレゼンスがとても高いので、一時イギリスに留学し大変勉強にはなったのだが、研究の方向性については明確な答えを見出せずに帰ってきた。

幸いこういう状態は比較的最近になって解消され、今は研究が楽しい。主な理由は、運送法を改正する話がでてきて、この分野の数少ない研究者や実務家と接する機会が格段に増えたことにあると思う。結局、ここ10年程の苦悩は、研究のスタート地点でやや覚悟が足りず、自分にとっての専門家が集う場を選ばなかったこと、過剰適応気味になって自身の方向性を見失ってしまったことにあった気がする。研究は孤独になりがちだし、専門家を目指すのだから、最初はその道の師匠の下で学ぶのがよい。そして迷ったときは自分自身にきいてみるしかない。結局、そういう当たり前のことが大事なのかなと改めて感じている。

前のページ