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研究者になる

久家慶子(理学研究科・准教授)

好きなことを仕事に

私は、地震学といわれる分野で、地表で観測される変動のモデリングや数値実験をもとに、地震がどのように起こるのか、地球の中身がどうなっているのかを研究している。ミミズが這ったような地震計の記録を見せて、「うふふっ、おもしろいのよ」とニヤつく怪しい奴である。

私の場合、「研究者になる!」とびっくりマークがつくような強い意志をもっていなかった。研究者になるという意志は修士1年までなく、そのような生き方があることもあまり認識していなかった。「できることではなく、将来にむけて好きなことを探しなさい」という塾講師の言葉を頭に、高校では、物理、できれば宇宙とか大きいものと思っていた。星や空、数学や推理小説が好きで、何かわからないものを考えて明らかにするという過程がとても好きだった。

修士課程までは東京工業大学理学部応用物理学科の地球物理学の研究室に所属していた。就職活動をするうち、取り組んでいた地震の研究を仕事にしたいと思うようになった。研究室に配属された新米若手研究者の活躍を目にしたのも、その仕事を身近に感じるきっかけであった。当時この分野の研究職の多くは国の研究機関であり、公務員試験が必須であった。が、撃沈、採用してもらえなかった。

東京大学の博士後期課程へ入りなおし本格的に地震学を研究することに決めた。もう逃げ場はなく、平日は研究、週末はバイト、追い詰められた悶々とする生活である。博士課程は二度とイヤだ!と昔よく言っていた。それでも、今振り返ると、研究の上で不可欠な時期であった。地震学の最先端に接し、多数の文献を身近におき、計算機も地震計のデータも使いたい放題、寛大な指導教官のおかげもあって、勉強してみよう、やってみようと思うことをとにかく試すことができた。同時期に偶然出会った若手先鋭研究者に研究が何たるかを基礎から叩き込まれながら、深発地震に関する共同研究をもとに学位を取った。

私が現在も取り組む地震波の波形解析を始めたのもこの時期である。地震計に観測されたP波などの地震波の形を、物理をもとに計算機で似たように復元できた時の「へえ~」という最初の感動は忘れられない。地震計の記録の山々から、狙う地震のデータを時刻で抜きだすのだが、地震波の形の各々の顔(特徴)から「これこれ、私の地震は」とみつけ出すことが楽しかった。従来の考えでは説明できないような地震波の形がみつかると、それを試行錯誤で解明していくワクワク感、わかった!という達成感がおもしろかった。

学位取得後、日本学術振興会海外特別研究員として、カリフォルニア大学サンタクルツ校でポスドクをした。朝から晩まで研究をし、給料がもらえる感動。多種多様な視点、考え方、研究姿勢などを肌で学んだ。印象的であったのが、自分の生き方を選ぶということ。傍目には絶好のポストでも、家族の条件などを理由に受けなかったり、逆に、わざわざ悪いポストを選択したり、仕事を変えたりするケースも目の当たりにした。どのように生きるか、何を大切にするかは自分次第なのだ。無意識に植えつけられていた日本風の考え方や固定観念が、いろいろな局面でいかに自分を窮屈にしていたかを思い知った。研究者として社会人として自立するための2年間であった。

京都大学理学部に助手の職を得てからは、対象や手法を広げながら地震学の研究を続けてきた。1995年兵庫県南部地震は私たち地震学者には大事件であった。地震を起こした断層やその破壊過程の自動即時決定へ向けた研究や、地震の破壊成長過程の物理に迫るべき数値実験などに手をだした。地震の波形記録から推定される地球内部の地震波速度分布をもとに、謎の残る大陸プレートの温度構造や化学組成の特徴なども調べてきた。私にとっては、地震計の記録は、直接目にできない地球の中での活動や構造を知るための地球の囁き兼おもちゃ箱である。国内外の研究者との共同研究で、いっしょに「へえ~」という思いを味わう幸福も得た。どこの国に行っても、同じような教科書が研究室に並び、同じ興味で議論や競争ができるのはおもしろい。また、教員という職もおもしろいものだ。学生は、時折、「へえ~」と思うようなことを研究の中でみつけてくる。授業等で、キラキラとした学生の顔に出会えると、うふふっと嬉しくなる。

私は、研究の中で心動かされる「へえ~」とかワクワク感、達成感に魅惑されて、研究を続けてきた。好まないことを避けながら選んできた感はある。でも、今は、研究者という職を気に入っているし、研究者は女性に良い仕事だと思っている。研究することが私を支えてくれている。自分の20代を思うと、先が見えない、周りの多くの人々と違う不安はよくわかる。が、若い皆さんにも、是非、研究を仕事にする充実感や楽しさ、おもしろさを味わってもらいたいと思う。その架け橋にちょっとでもなれたら、私は嬉しい。

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