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平野(野元)美佐(アジア・アフリカ地域研究研究科 ・准教授)

旅と子育てとフィールドワーク

 私はなぜか小さい頃から日本を出てみたい気持ちが強く、小学校の文集に将来は旅行家になると書いたほどで、大学生になるとアルバイトをしては海外に行くことを繰り返した。中国シルクロードの旅、シベリア鉄道でのソ連横断、東西ヨーロッパ、イスラエル、エジプトなどいろいろな国に行った。さらには、サハラ以南のアフリカへも足を踏み入れた。しかしそのアフリカの旅が、これまで行った他の地域とは違っていた。百聞は一見に如かずとはいうものの、ただ見てもアフリカのことは全くわからないという気持ちが残った。もちろん、それまでの旅行でもその土地土地を理解できていたとは言い難い。しかし、アフリカは旅行者としての自分がとくになじまない気がしたのである。

 アフリカを理解するには旅行ではなく滞在しなければと思い、アフリカを研究しようと大学院に進んだ私は、最初は社会学、後に文化人類学と専攻を変え、アフリカ中西部の小国カメルーンと関わることになった。奨学金などをいただき、長期では2年、短期も合わせると合計3年ほどカメルーンに滞在し、フィールドワークを行った。

 私はアフリカの都市社会に興味があり、カメルーンの商業民とされるバミレケというエスニック・グループが、いかに都市で暮らしをたてているのかを、彼らと一緒にいろいろな活動に参加させてもらいながら調査をした。とくに、彼らがどのようにカネを稼ぎ、貯蓄し、投資するのか、という貨幣の動きと意味に注目をした。バミレケ実業家の多くはたたき上げで、小規模な商売から出発し、頼母子講で貯蓄しながら商売や不動産に投資し、事業を拡大していく。また彼らに特徴的なのは村とつながり続けることで、都市に暮らしていても故郷に家を建て、同郷会に参加し、故郷の開発に携わっていた。彼らのアフリカ的な都市の生き方から、それまで考えもつかなかった生きる知恵、生き甲斐、創意工夫をたくさん知ることができた。これはまさしく、アフリカに長期滞在したことで可能になったことである。しかし、「アフリカは知れば知るほどわからなくなる」とは恩師の言葉であるが、まだまだわからないことだらけというのが本当である。

 博士論文を書いた後、非常勤講師や研究員などを経て、幸運にも常勤の職を得ることができた。大学院から今日まで、それぞれの過程で、良き先生、先輩、仲間に恵まれたおかげだと思っている。

 ここ最近は子育てをしており、カメルーンにまでフィールドワークに行くことが難しくなっている。かわりに頼母子講つながりで、沖縄の模合(もあい)と呼ばれる頼母子講について調査している。日本では沖縄だけが、今も広く活発に頼母子講が行われているのである。沖縄でフィールドワークをしていると、「フィールドワークは大変だけどおもしろい!」と改めて思う。文化人類学者や地域研究者は、フィールドワークへ行かなければはじまらないのである。だから子育てをしていると、子育てとフィールドワークをどのように両立させていけるかが難しい課題となる。普段の仕事は保育園の時間になんとかこなせても、フィールドワークはそうはいかない。誰もが長期のフィールドワーク中、子どもをずっとみてくれる家族がいるわけではなく、フィールドに連れて行くこともできないことが多い。これは私だけの問題ではなく、子育てフィールドワーカー(男女問わず)が必ずぶち当たる壁である。自助努力だけでは限界があると思うが、今のところ、個人でやりくりする問題とされている。

 しかし一方で、子どもは、子育てをしなければ出会えなかったフィールドや人びととたくさん出会わせてくれた。フィールドワークは、フィールドの人びとの生活に踏み込んで行くと同時に、自分の人生をむこうにさらけ出すことでもある。その関係は一回きりでは終わらず、長期にわたって続くのが文化人類学のフィールドワークである。そういう意味では、子どもをもっていろいろ苦労することは、研究や調査にとってマイナスばかりではないと思うのである。

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