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研究者になる

伊藤美千穂(薬学研究科・准教授)

贅沢はでけへんけど、頭の中に自由がある

 「このコラムを書くことになったんやけど、何を書いたらええやろか。いつも何を期待して読んでる?」研究室の学生達にこう聞いてみました。「なぜ企業に就職しないで研究者になったのか、なぜ博士課程に進学したのか、それを知りたくて読むけれど、『なんとなく』とか『いつの間にか』とか書いてあることが多くてちょっと残念。」複数の学生がこう答えてくれました。なるほどなあと思う反面、私には「いつの間にか研究者になっていた」と書きたくなる気分もよ~く解ってしまうので困ります。でも、18歳で京大生になり、留学していた時間を除けばずっと京大薬学に居てしまっている私は、彼女ら彼らのよくも悪くもレファレンスになれるのかもしれない、そう思ってこれを書くことにします。

 ”研究者”という「職業」には淡い憧れのようなものを覚えるけれど、自分の資質では及ばない高みにあるもの、選ばれた優秀な人だけに許された職業-学生時分はそんなふうに思っていたような記憶があります。加えて、「女性は博士課程に進学すると就職させるのが難しくなるから進学は許可しない」と教授が平気で告げられた時代のこと、私は研究者になろうと思って進学したのではありませんでした。短く言えば、そこにちょっと魅力的な研究対象があって、導いてくれそうな先生がおられたから進学した、ということになるでしょうか。魅力的なものは、それの全貌がはっきりしないから魅力的なのであって、全部が解ってしまっていたら興味の対象ではなくなるでしょう。そのなんとなく惹かれる対象を横目にやり過ごすこともできたのですが、そうしたらとても後悔するように私には思えたのです。自分にとって魅力的なもの、好きなもの、が朧げに見え始めていた、今にして思えばそういうことだったのかもしれません。何をするにしても、好きなこと・ものでなければ続きませんし、初心者には導いてくれる存在が必要で、研究者になる場合もこの組み合わせが大きく影響するように思います。この先生の後ろについていきたい、そう思わせる存在があれば、自分に対する一般的な評価を気にして躊躇するより、まずはともかくついていってみる、そうしてそこで手にする研究材料が自分の好きなものであれば、ほとんど後悔することは無い、そう思います。必要なのは、最初の一歩を踏み出す勇気と、自分の判断の責任は自分でとるという覚悟でしょう。自分の生活は自分で責任をとるという意味では、経済的な自立も人によっては必要条件かもしれません。私の場合は、学部学生の間は片道2時間かけて通学する自宅生だったので家庭教師や塾講師のアルバイトでそこそこ貯金し、大学院生になって京都に住み始めてからは貯金を取り崩しながら薬剤師のアルバイトと奨学金でやりくりしていました。でも、金は天下の廻りもの、と申しますし、社会人になるまでは親に借金するのも悪くないかもしれません。

 「この職業はな、贅沢な生活はでけへんけど頭の中に自由がある。金儲けを考えんでいいんや。こんなええ職業はないで、伊藤さん。」指導教官に言われたこの言葉を信じて、私は博士課程2年修了時に中途退学して助手になりました。阪神淡路大震災の明くる年のことです。以来、様々な仕事・出来事に一喜一憂しながらいまだに毎日が精一杯ですが、大学の研究者は「頭の中に自由がある」というのは確かに嘘ではなかろうと思っています。残念ながら、金儲けを考えなくてよいという部分は大学法人化以降に嘘になってしまいましたし、外部資金獲得額や論文のインパクトファクター積算値が研究者評価となるこのご時世では、頭の中の自由領域がたいへん狭隘になっているように感じますが、例えば薬学に籍を置きながら、運が良ければ3年目に初めての結果が出る、というような植物相手の研究計画をたてても誰にも文句は言われない環境というのは、やはり大学ならではのものだと思います。「他人の評価を気にするな」「相手と同じ土俵に載って喧嘩するな」は、師であり上司であった先生からよく言われた言葉ですが、これらだって研究者だからアリ、なのではないでしょうか。さあて、この記事を最後まで読んでくださったあなた、研究者になる自分に賭けてみませんか。待ってます!

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