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研究者になる

中井郁代(理学研究科・助教)

子育てをしながら実験的研究を続けるということ

 私は理学研究科化学専攻で助教として、「表面化学」という分野の研究をしている。触媒反応に関連して、金属などの表面における化学反応のメカニズムを解明すべく、レーザー光やX線などを用いた実験を行っている。

 現在、2歳の息子を育てながら実験的研究を続ける目の回るような生活を送っている。何とか軌道に乗り始めたものの、実験系研究者としての人生を続けていけるという確信が得られているわけではない。女性研究者の先輩方は、「子育てで大変な時はあっという間で、そのために研究をやめてはもったいない」ということをおっしゃる。しかし、現在の私には「あっという間」ということは全然実感できない。しかし自分も同じ立場になったら同じことを言うのだろう。だから今迷いながら何とか小さい子供を持って研究者として活動している自分の状況と思いを書いておきたい。

 私はちょうど10年前に東京大学を卒業し、大学院に進んだ。女子学生が理系の大学院に進み、研究職に就くことは、数こそ少ないものの、特殊なことでは全くない時代であり、また女性研究者及び学生を支援する制度や雰囲気もできつつある時だった。幸せなことに、この連載で先輩方が書かれているような、進学や就職に際しての女性であるが故の苦労や苦悩というものとはほとんど無縁であった。

 子供が生まれると、状況は一変し、時間的、肉体的にも大変になり、その中で研究を続けていくことの意味を常に自問しながらの日々となった。京都大学に就職してちょうど1年が経ったときに息子を出産し、今は2歳になっている。夫とは離れて暮らしており、普段は息子と2人の生活である。保育園のお迎えの時間で研究の時間が決まっており、家庭でも常にばたばたしている。私が現在行っている実験は、大型の装置を複数使用するような実験で、準備にも測定にも非常に時間がかかる。今は大部分の実験は学生さんに任せているが、それでも、新しいことをする時や装置のトラブルの際には一緒に作業をする必要がある。そんな時は保育園のお迎えの時間が本当に恨めしい。

 家族や研究室のスタッフおよび学生たちの理解や支援には本当に支えられている。女性研究者支援センターの事業も、「待機乳児保育室」「お迎え保育」「病児保育」とフルに利用させていただいている。周囲の支援にはいくら感謝しても足りない。ただ、どれほど周囲に支えてもらっても、時間的、肉体的負担はある程度からは自分で受け止めなければどうにもならない。それでも研究を続けたいのかどうかということは、しばしば考えざるを得ない。私が一番やめようかと思ったのは、出産後半年から1年くらいの間であった。出産時に血圧が急上昇した影響がまだ体に残っており、子供の夜泣きもひどかった。常に疲れていた。早めに帰宅するようにし、研究もデスクワーク中心にするようにしているうちに、体調が落ち着き、子供の夜泣きも減ってきて、だんだん研究に打ち込めるようになっていった。書いたことと矛盾するかもしれないが、死ぬほど大変なのはあっという間だったのかもしれない。その後も「やめようか」と思うたびに、この時のことを考えて思い留まり、現在は好きな研究に集中できている。

 出産するまでは自分が女性であることを意識することはなかった、と書いた。しかし、そこには嘘がある。学生時代に自分の進路を決めるときに一度考えたことがある。私は学生時代から一貫して表面化学の研究をしている。しかし、研究手段としては、全国に3つほどしかない「放射光施設」という大型の共同利用施設(SPring-8などという施設名を聞かれたことがあるだろうか)を専ら利用するものだった。1年の3分の1くらい東京を離れて茨城県つくば市の施設に行きっぱなしだった。博士の学位を取れる見通しが立った頃、もし将来子供を持つようになった時にこのような実験を続けられるだろうかと不安になった。周りを見渡してもそのような女性の先輩は誰もいなかった。ポスドク先として、全ての実験を実験室で行っている研究室を選んだ。もちろん、その選択の理由の殆どの部分は科学的な興味によるものである。しかし、女性研究者として歩んでいくための不安と戦略がその選択を後押ししたことは否定できない。これは良い選択だったのではないかと考えている。おかげで何とか研究も子育ても納得できる形で続けられている。進路に悩む若い方がこれを読んでくださっていれば、女性であることを理由に職種や専門分野を狭める必要はないが、ライフイベントがあってもその道を進みやすい選択肢がもし興味の中にあるのならば、それを選ぶことも検討してほしいということを言っておきたい。

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