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土佐尚子(学術情報メディアセンター・特定教授)

越境するアーティスト

 私はアーティストとして、ベルリン映画祭やニューヨーク近代美術館など国内外の映画祭や美術館で作品発表した後、徐々にテクノロジーを表現の手段として用いるようになりました。

 アート&テクノロジー研究により、東京大学大学院工学系研究科電子情報工学専攻で工学博士を取得し、 さらにソフトウェアを用いたコンピュータグラフィックスの表現が鑑賞者とのインタラクション(相互作用)で変換するアート、いわゆるインタラクティブアートという領域に足を踏み入れました。

 これらを通して私は何を表現してきたのでしょうか。振り返ってみると、心の描写から出発し、人間の感情や記憶、気配、ユーモア、そしてコミュニケーションなどを表現してきたのだと思います。そして、自分の表現を実現するために、職場も徐々に変化していきました。

 当初は武蔵野美術大学に勤務していましたが、その後コミュニケーション先端技術のATR知能通信研究所へ移り、感情認識の研究や作品制作に没頭してきました。この過程で、私は単なるアーティストではなく、アートの範疇を越えた「越境するアーティスト」になろうと思いました。

 アートとテクノロジーの価値は、まったく反対の位置にあるのです。優れたアートは、時間が経っても古くならず普遍的な価値を持っています。一方、工学技術は古くなるとそれを越える新しい技術が現われ、時代に淘汰されます。こうしたそれぞれの位置を越えてアートとテクノロジーの間に新たな関係を作り、他のさまざまな領域に影響を与える作品こそが、優れたアート&テクノロジー研究と言えます。すなわち、「アートはテクノロジーを越境し、テクノロジーはアートを越境する」とでも言えるのではないでしょうか。

 このような越境するアーティストとしての自覚を持っていた私は、次の段階として、日本という文化・地域を越えたグローバルなアーティストになろうと思い、米国MITへ研究活動の拠点を移しました。しかし、そこで私は、文化の差異に出会うこととなります。日常生活における文化の差異だけではなく、私が表現しようとしてきた感情、記憶、気配、無意識のコミュニケーションの中にも、きわめて文化的な差異が含まれていることに気づいたのです。つまり、一般表現をしていると考えていた私の作品の中に、グローバルなものと同時にきわめて日本的なるものが表現されていたのでした。

 そんなときに、雪舟の山水画に出会いました。山水画は風景画ではなく、心象画です。目前の世界を正確に写実する西欧の風景画とちがい、東洋の山水画は心や無意識を目に見える形で描いています。これは西洋のユング心理学の無意識の概念に通じているではありませんか。山水画の無意識を構成している型を用いることによって、他文化理解のための無意識コミュニケーションの道ができることを発見しました。

 そのような方法で、きわめて日本的な文化と考えられている禅や山水の型をモデル化して、インタラクティブ作品《ZENetic Computer》を生み出すことに成功しました。次に心理的連想と表意文字からの図像イメージをつないだ漢字インスピレーション《i.plot》を作りました。そして五・七・五のテンプレートを用いて、漢字一字を入力すると、俳句を生成する《Hitch Haiku》を制作しました。

 これらの作品をMITを始めとする海外で発表したところ、驚いたことに外国人の多くが理解を示しました。特異だと考えられていた日本の文化の型に注目し、コンピュータを通すことによって、理解を得ることができたのです。このことは、私の作品が歴史や文化という時間軸や国家といった空間軸を超えた、他文化の人たちにも理解できるメディアとなったことを意味しています。

 このような研究を続けるうちに、私はアートと工学の考え方をさらに一歩進めることができることに気づきました。すなわち、文化の型をコンピュータ上でモデル化し、作成したインタラクティブ作品は、世界中の人たちがそれに触れることで、他文化を理解できる新しいメディアになりうるのです。コンピュータで文化のモデルを使い、再編集をして新たな表現が生まれます。これを新しい文化の創造と呼べないだろうか。今後は、西と東の文化をつなぐ表現メディアの研究を目指して行きたい。

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