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研究者になる

木元 小百合(経営管理大学院・准教授)

これまでを振り返って

以前から、このコーナーで多くの女性教員の方々のメッセージを読ませて頂いておりました。今回この依頼を頂き、私自身は、未だに悩みながら研究・教育者生活を送っていますので、何を書けばよいのやら……と悩みましたが、改めてこのコーナーを読み返し、いろいろな研究者がいてよい、と励まされましたので書かせて頂くことにしました。

私の専門は土木工学の中の地盤力学です。また2年ほど前から、工学研究科(社会基盤工学専攻 地盤力学分野)と経営管理大学院を併任で担当しております。経営管理大学院は今年でちょうど創立10周年を迎えましたが、文理融合のビジネススクールとして、経済と工学(主に土木系専攻)の教員で運営されています。経営管理大学院では、これまでの専門に関連する形で(例えばエネルギー問題、防災工学)、新しい講義を担当させて頂くなど、自身の専門を広げるため模索中ですが、ここでは主に地盤の研究者としてのこれまでを振り返りたいと思います。

高校の進路選択の際には、建築を専門としていた父の影響と、当時、地元である神戸の近くで明石海峡大橋の建設が進められていたことなどにも影響を受けたように思いますが、「土木は面白そう」という直感と、将来は手に職を、と考え工学部土木系の受験を決めました。京都大学へのあこがれもありました。土木系では、4回生で研究室に配属されますが、その時には「土(地盤)系」の研究室を選ぶことを決めていました。土の力学を当時は3回生ではじめて学びましたが、理論的に複雑でまだ分からない部分が多く、また理論だけではなく現場の経験によるところも大きいところに魅力を感じ、「土」を選びました。当時の指導教員で、その後長くお世話になることになった岡 二三生先生に、4回生の当初「なぜ土質力学を選んだのですか?」と研究室で聞かれ、自分の返事は忘れてしまいましたが、先生は「土の研究は、土の医者になるのと同じ。それぞれの現場で土の特性を知らなければならない」と仰い、やはり土を選んで正解だったと思いました。今も土は分からないことが多く、飽きることはありません。

それ以来、修士・博士課程、その後の教員生活を含め、現在の研究室に18年在籍しています。当時は全く予想していなかったことです。当時も、工学部の大半の学生は修士課程後に就職していました。修士2年の進路選択の際、専門性を活かした仕事に就きたいと思い、民間企業への就職も考えていましたが、自分の希望するようにはいかず、そのころ、「博士課程で研究を続けるという道もある」、と指導教員であった岡先生に助言を頂きました。これは私が優秀な学生であったというわけでは全くなく、勉強がしたければウェルカムです、ということであったと思います。が、当時、博士課程で引き続き研究する、という選択肢に心が躍り、その思いにしたがって進学することを決めました。

その後、博士課程を経て、教員という立場になりました。その間も、研究が進まず、研究者に向かないのではないか、と悶々としたこともあります。ここまでやってこられたのは、岡先生をはじめ、先生方、学生を含め、よい出会いに恵まれてきたことと、飽きずに継続できたためであると思います。現在は、講義担当や学内外での仕事も増えました。研究、教育、社会活動の場でいろいろな機会を頂きます。今も、これからの研究の方向性、教員としての理想像など、考えなければならない課題は大きく、悩みは尽きません。が、とにかく何かを吸収して、続けることが大事と考えています。今後も自分と向き合い、周囲への感謝を忘れずに、日々精進したいと思っています。

女性という立場については、不満を感じたことはなく、逆に多くの機会を頂いてきたように思います。ただし、会議や学会でも女性がまだ少なく、マイノリティであることに慣れてしまいましたが、やはり窮屈に感じることはあります。もう少し女性が増えれば、活躍の場はさらに広がるように思います。最近では「ドボジョ(土木女子)」という言葉もありますが、この分野で女性研究者・技術者がもっと増えることを願っています。

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