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研究者になる

小西 由紀子(理学研究科・准教授)

研究者への道程と家庭との両立

2008 年に京大数学教室に来て8 年になります。実はずっとこの連載を楽しみにしていて、( 1 )執筆された方がどういう経緯で研究者への道を歩んでいくことになったのか、また( 2 )家庭との両立をどうされているのか、興味深く読ませていただいておりました。そういうわけで私もこの2 点について書かせていただきます。

まずは( 1 )から。高校生のとき素粒子論に憧れて、大学では物理学を専攻しました。しかし、大学院で念願の素粒子論研究室に入れたのはよかったものの、そこで大きくつまずきました。修士1 年のとき場の理論と弦理論の教科書を読むセミナーがあったのですが、難しかった。そしてそれが終わったあとは自分でテーマをみつけて研究を始めなければなりませんでした。しかし最新の論文もセミナーの講演もさっぱり分からずで、同期の人たちが着々と論文を書いていくのに焦る日々。ストレスで過食したり、不安で夜中に目が覚めるようになったりしました。鬱にならなかったのはひとえに妹といっしょに暮らしていたため研究以外に逃避できるところがあったからだと思います。見かねた先輩が共同研究に誘ってくださってなんとか論文を書くことができ、学位をとりました。

つまずいた原因は何だったのか、かなり考えました。一つは勉強の仕方にあったと思います。学部時代、私は講義内容しか勉強しませんでしたが、大学院での研究をみすえて専門の分野の勉強を始めておくべきでした。また、自主ゼミで他の人と議論しながら理解を深めるという経験を積んでおくべきでした。もう一つの大きい原因は私のコミュニケーション能力の低さだと思います。当時周りの人にもっと心を開いて相談していれば、どうするべきか指針を見つけられたのかもしれません。

さて、今でもそうだと思いますが、私が学位を取った頃の素粒子論業界は大変な就職難でした。大学教員になることはもちろん、国内でポスドクの職を得ることも難しく、優秀な人でさえ海外へ行かざるをえない状況でした。落ちこぼれの私を雇ってくれるところがあるはずもありません。もうあとがないという思いで数理解析研究所の齋藤恭司先生にお願いし、研修員としておいていただくことになりました。(研修員とは研究生のようなものです。)面識もなかった私をあたたかく受け入れてくださった齋藤先生とその研究室の方達には感謝してもしきれません。そこでお世話になった3 年間、毎週土曜日のセミナーでとても刺激を受けました。いくつか論文も書け、学振特別研究員となった後に京大数学教室に講師として採用されて現在に至ります。

次に( 2 )について。両親の不仲を見てきた私は中学生の頃から、結婚とは女性が苦労するシステムであると考えていました。もちろんこれは一般論としては正しくありませんが、結婚して幸せな人もいるということが、頭では理解できてもなかなか納得できませんでした。やっと納得できたのは数理研時代に尊敬する女性研究者に出会ってからです。

その後共同研究者として夫と出会い結婚しました。研究者どうしだとよくある話だと思いますが、ずっと別居です。4 年前妊娠した時に話し合い、夫の職場のある東京都では保育所入所が難しいことから、子供は私と京都で暮らすことにしました。夫は毎週末帰ってきて家事と子供の相手をしてくれます。それでも子供は夫が普段いないのが寂しいようですが、どうしようもありません。

子供がいると仕事にかけられる時間が足りないと切実に思います。夕方、あと30 分あればこの用事をすませられるのに、というときでも保育園へ迎えに行かなければなりません。家事は家電と食材宅配を利用してできる限り手を抜いていますが、それでも単身時代の倍以上やることがあります。また家で仕事をしていると子供が遊んでほしがるので、それもできません。もう少し大きくなったら子供が宿題をする隣で論文を読めるようになるのでしょうか。

たまに研究集会に行く機会があると浦島太郎状態の自分を意識してしまって落ち込みます。「自分は研究者としてやっていけるのか」と悩んだ院生時代に戻ったみたいです。でも家族と過ごす時間があるためか昔のように闇雲に不安ではありません。

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