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研究者になる

名村 今日子(工学研究科・助教)

「Sample ID: kyoko151204 」

私はまだ研究者としての経歴は短く、家庭を持っているわけでもありません。それでも、私が生きてきた人生を他の誰も生きてはいないので、参考にならなくとも一例にはなれると思い、この記事を書かせていただくことにしました。

研究者として
本当に研究だけに限って言えば、女性であることが支障になったことはありません。結婚や出産などプライベートとの兼ね合いは別です。他の方も書かれているように、研究成果は論文や発表の件数などいい意味で数値化されており男女平等に評価されます。とはいえなぜあえて研究者なのでしょうか。

私が研究者になろうと思ったのは小学生のころです。将来の夢に「研究者」と書きました。早々に決めた理由は、小さい頃から父母や親戚が数々の自然科学系の実験を一緒にやってくれたことだと思います。昆虫採集から草木染め、顕微鏡観察や電子工作など挙げだすときりがありません。一番のポイントは、いつも私をほったらかして周りが楽しんでいたことです。その様子を見ながら一緒にやってみると、本当に楽しい(気がしてくる)のです。そして部屋に戻ると本棚には図鑑や写真集など様々な本がそっと本棚に並べてありました。自然と興味がわき、ページを何度もめくりました。こうしてうまいこと自然科学系の実技と座学を自発的にやるように洗脳されていきました。幼少期をあえて書いたのは、この時の経験が今も私の中で生きていると思うからです。

そのまま研究者になることについて何の疑いもなく、大学に入りました。今もずっとお世話になっている研究室の門を叩いたきっかけは、廊下にかけてあった鈴木基史先生のポスターです。そこにはカラフルな薄膜の写真とその薄膜の電子顕微鏡像 ― 目には見えない面白い形の構造を撮影した写真がいくつも並んでいました。直感で「ここで研究がしたい」と思いました。さすがに研究室に入ってからは、結果が長らくでなかったり論文がなかなか通らなかったり、苦しい時期もありました。それでも続けている理由は、幼少期と同じように研究の楽しさを人と共有した瞬間があるからです。詳しくは書きませんが、私は熱を使って流体を駆動する実験を行っております。なかなか駆動されない流体を相手に試行錯誤を繰り返していた中で、ある日突然急激なマイクロ回転流が発生しました。うれしいのか何なのかふわふわした気分のまま、現象の再現性を確かめて鈴木先生に報告しました。結果をみるなり「これはめちゃめちゃ面白い!」と言ってとても喜んでくださいました。その瞬間に楽しさの実感が湧きました。あの感覚は今でも研究の励みになっています。簡単な科学実験ならともかく、大学の研究ともなれば時間と手間がかかる分、楽しさを見失いがちです。先生にしていただいたように、自分も研究の楽しい瞬間を捉え、なるべく学生を巻き込んでその感覚を共有できるようにしたいと思っています。

女性として

ここまでで私が研究を楽しんでいることは伝わったと思います。それでは女性であることが全くこれまで気にならなかったか。答えは否です。絶望的な男女比(女性3 %程度)に気づいたのは大学入学後でした。大学院進学以降はほとんどいつでも女性は自分一人という環境でした。女友達とずっと一緒に居たい方ではないですが、周りの学生との性別・年の差が少しずつ広がる中で、たまに孤独を感じることがありました。

そんな時にちょうど「JSPS 組織的な若手研究者等海外派遣プログラム」と「工学研究科馬詰研究奨励賞」の受賞によって海外行きの切符を手にしました。合計3ヶ月間、スウェーデンのウプサラ大学のGranqvist 先生の研究室に滞在させていただきました。そこには10名以上の博士課程の学生がおり、その内半分くらいが女性でした。同じ分野にいる女性研究者仲間がたくさんできたことで、女性研究者として生きることが特別なことではない、という気楽さが生まれました。この経験のおかげで今日も楽しく研究に打ちこめています。

以上、私の今までというものを書き連ねました。結局のところ、今、私はただの研究者です。いつか女性研究者として生きる日が来たら、もう少しみなさんの役に立つことをどこかで書きたいと思います。

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