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研究者になる

木下彩栄(医学研究科・教授)

子育てと仕事で目の回るような毎日をすごす一研究者の独り言

 振り返ると、私が小さかった頃は、「花嫁修業」という言葉がまだ生きていた。そんな中で、父が「これからは女性も教育が大切だからしっかり勉強をしなさい。望むだけの教育を受けさせてやるから。」と妙に真剣な顔で話していた事は今でもリアルに覚えている。今は亡き父であるが、教育という最高の贈り物をしてもらったことは感謝してもしきれない。こうして、私は本学医学部に進学する事になった。時代がまだ昭和だった頃である。入学時には、せっかく医学を学ぶのだから何か社会貢献が出来ればよいと、その程度の意識しかなかったと思う。研究生活を送るという選択肢は全く考えていなかった。卒業後は、医師として神経内科で数多くの患者さんと接し、その後、4年間の大学院での研究を経て夫婦での海外留学、日本での復職など、気がついたら、臨床医の道よりも研究を続ける方向を選び続けてここまできていた。5年ほど前に、医学研究科人間健康科学専攻に移ってからは、認知症や在宅医療に関する研究と教育、臨床に携わっている。

 キャリアの上で、女性であるが故に悔しい思いをしたことは何度かあるが、いずれも臨床の場においてであった。実は、研究生活においては、あまり女性であることを意識した事がない(そのために日常生活ではすっかりオヤジ化している)。研究という場だけを考えるのであれば、研究職は評価が比較的フェアで、女性にとってはまあまあ働きやすいのではないだろうか。むしろ、女性にとって難しいのは研究という場の問題ではなく、もっと一般的な問題、つまりプライベートライフとの両立という問題があるからではないかと思う。配偶者に恵まれれば、研究と結婚生活との両立はそれほど難しいものではないが、子供がいるとなると話は別である。昼間は保育園、学校や学童があるとしても、子供が家にいるときの「保育」の存在は一日たりとも欠けてはならないものである。「夜は帰れないから、適当にやっておいて。」ではすまないのである。一度たりとも穴を開けられない毎日を何年も送ることは大変なプレッシャーであり、ときどき、脳内の伝達物質が枯渇してしまうような気がすることもある。研究職に限らないが、フルタイムで仕事を続けながら小学生二人の子を抱える家庭生活とはこうした日々の連続である。

 配偶者に関しては、男女平等の教育を受けた世代である故に、女性も働くということに対する「理解」というのは、もう当然と言うべきではないかと思う。現実にはまだまだ、であるにしても。それよりも、配偶者が「家事や育児に関わる事を当たり前とする感覚」を身に着けていないと、女性にとっては厳しいものになる。とはいえ、協力的な配偶者であっても、お互い別々のキャリアを追求するとなると、転勤などの問題は避けられない。私の場合も、夫は名古屋に単身赴任をして2年目である(ため息)。将来、日本は少子化高齢化が進み、労働力が不足するのは必至である(私たちの年金だって、ないかもしれないし!)、が故に「女性も男性も働きやすい社会」で協力し合って生きていくことが当たり前でなければならない。次世代で本当にジェンダーが問題にならなくなるようにするのは、教育しかないと思う。子供が男児でも女児でも、能力が活かせるような社会であってほしいと切に思う。これは、ひとえに私たちの世代の親としての責任である。

 最後に。自分が言えるような立場ではないことは自覚しているが、キャリアを伸ばす上では「人間性」が大切だという事は強調しておきたい。周囲に配慮を忘れず、地道に努力している姿が評価されれば、たとえ子育て中に周りの方に迷惑をかけることがあっても、許容してもらえることは間違いない。ネイチャー級の仕事が何本かあれば、人間性云々と言わなくてもポストが転がり込んでくるのであろうが、私のような凡人研究者の経験からは、人間性と研究に対する熱意、そして英語力、この3つの条件が研究者を目指すにあたっては必要だと思っている。若手女性研究者の方には、たとえ漠然とでも自分の目標とそれに向かっての最善の方法やバックアップの方法を常に意識し、確固たる信念を持って研究を継続してほしい。各人が職業上でもプライベートでも最大限の能力を発揮して自己実現が出来る社会、そういう社会を皆で目指して生きたいと切に思う、私たちのためにも、未来の世代のためにも。

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