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研究者になる

髙山佳奈子(法学研究科・教授)

転んでもタダでは起きるな

 私の専門は刑事法学である。もともと、男女が平等に働ける職場への希望から、国家公務員I種の受験を目指して東京大学文科I類に入学した。当時はまだ女性のキャリア官僚が少なく、官庁はこれからの女性の採用・登用に意気込みを見せていた。しかし専門科目を学習するうち、刑法の理論研究への関心が強まった。ところが、刑事法大講座では女性の助手・院生が続けて研究をやめ、法律実務家に転身する事態が発生していた(私の後輩の女性もやめることとなる)。指導教官となる助教授は私を保護する立場にあったが、教授陣に私は全く歓迎されなかった。期待がかけられている国家公務員を目指すか、邪魔者扱いされる研究室に残るか。4年生の初夏まで迷った。だが、「自分を信じろ」という天の啓示があり、他の専門科目の教授らからの励ましもあって、研究者を目指すことにした。当時、毎年数名の成績優秀者が学部卒業と同時に助手に採用される制度があったが、私は採用されず、自分よりも成績の悪い人達が助手に採用されるのを尻目に、大学院に入学した。幸い実家に居住していたため生活に困ることはなかったが、当時はTAの制度もなかったので、家庭教師のアルバイトをしながら勉強に励んだ。さらに悪いことに、論文執筆中の助手が事務作業を免除されていたため、私は授業料を払って無給で学会事務などの仕事をした。

 修士論文を提出し、助手に採用された直後に、もう就職の話があった。当時はバブル期の影響で地味な研究職を選ぶ者が少なく、その一方で定年退職を迎える教授が全国で多数出ていたため、著しい青田買いが起こっていた。助手の任期3年を終えて就職した先は成城大学法学部である。この学部は創設後まだ新しく、東大助手が就職した実績はなかった(私の後にもない)。少人数教育を本旨とする学校であるため規模が小さく、有力大学だとは到底いえない(現在も、法科大学院を設置していない)。しかし、スタッフの約4分の1が女性であり、その中には、のちに法制審議会会長となる鳥居淳子教授や、フランス憲法研究で著名な辻村みよ子教授などのセレブも含まれていた。人事の方針としては、女性を積極的に採用することも、排除することもなかった。法学専攻の大学院生や助手の4分の1が女性だとすると、自然に採用すれば女性が4分の1になるはずであり、おそらくこれが差別のない状態での数字なのだろうと私は思った。他学部にも多くの女性教員がおり、快適な環境で教育・研究に従事できた。若手教員への支援も拡充されつつあり、先輩同僚らのサポートのおかげで、フンボルト財団の奨学金を得てケルン大学に留学することができた。

 ところが、2年間の留学中に、京大への移籍が決まっていた。ドイツ語の習得に励んでいた私にとっては寝耳に水であり、ストレスで顔じゅうにおできができた。そのときまでに7年間交際していた男性がおり、すでに双方の両親にも会っていたが、帰国後に「破談」となった。直接のきっかけは、もともと遠距離恋愛の関係にあったものが私の京都赴任でさらに不便になること、また、社会的地位の逆転に危機感を持った彼が入籍を求めたのに対して、私が事実婚(夫婦別姓)を主張したことにあった。別居で事実婚というのはほとんど実体がないから、彼にしてみればプロポーズを断られたにすぎないことになるだろう。彼はほどなく勤務地の地元の女性と結婚した。

 しかし、これは、自分の実績が評価されて得た初めての地位である。帰国2年後の2002年4月に着任してからは、まだまだ課題を残すものの、順調に教育・研究生活を送ることができている。私大にいたため助教授への昇任が京大の生え抜きの人に比べて6年遅れていたが、教授昇任の段階で追いつくことができた。学外では、2004年に日本人として初めて国際刑法学会本部執行役員に選出された。アジアの女性研究者が稀少であったために抜擢されたのだ。2006年にはドイツの勲章もいただいた。若手女性に期待する趣旨が込められていた。2009年には女性として初めて日本刑法学会理事に選出された。ここでも同世代の男性に遅れをとることはなかった。

 私の研究領域は基礎理論なので、女性の視点といったものを生かす余地はあまりない。それとの関連でいつも思い出すのが、院生・助手時代にご指導くださった元東大総長の故・平野龍一先生(当時は名誉教授)の次のようなお励ましである。「鼻柱の強い論文をお書きなさい。著者が女性だというだけで、軽く見られてしまうからね。」かつては、女性の書く論文は射程の小さい(ゆえに被引用回数の少ない)ものが多いと見られていた。現在ではそのような偏見は減少し、就職差別やハラスメントの状況も徐々に改善されつつある。今後ひとりでも多くの女性が研究者になり、これを押し進めてくれることを切に願う。

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