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研究者になる

田邊玲子(人間環境学研究科・教授 )

好きなことをがむしゃらに

「研究」という言葉は、自分の営みを示す言葉として違和感がある。好きなことをがむしゃらに続けてきただけで、さまざまな偶然が重なりさまざまな選択を重ねてきた結果として現在があり、それが目的であったわけではない。果てしない学問の世界のなかで、自らの微少さを思い知らされながらいまなお「勉強」を続けている、そんな心持ちである。

専門はドイツ文学だが、子どもの頃からドイツ文学を読むのが好きで好きで、原語のドイツ語を学びたくて学びたくて、そうした文学を生んだドイツ(語圏)に行きたくたまらず、そもそもは外国語大学への進学を希望していた。けれど、外国語を学ぶのなら文学という学問を学びながらの方が楽しい、文学なら京大の文学部がどこよりも面白い、という、高校の国語教師の勧めや、京都なら下宿(憧れの一人暮らし!)させてやろう、という親の甘い言葉に乗せられて、京大文学部を受験した。入ってみると、圧倒的に男子が多いうえ、哲学にしろ歴史にしろ文学にしろ、みなそれぞれに「京大文学部」への思い入れが強い。そんな中に、わたしのようないい加減な人間が紛れ込んでしまったわけで、なんとも場違いな所に来てしまった、と、後悔したものである。

こんな風なので、「大学に残る」という選択肢など、全く念頭にはなかった。けれど、卒論を書いていて「文学研究」の面白さに目覚め、卒業後ドイツに留学してドイツの大学で学ぶうちに、ますます面白くなってやめられなくなり、帰国後、京大の大学院を受け直した。しかし、オープンで自由に意見を交わすドイツの大学の雰囲気とは正反対の鬱屈した雰囲気にまず戸惑い、おまけに、数年ぶりの女子院生ということで、何かにつけて「女だから」「女なのに」と言われることにひどく戸惑った。おかげで「女」に目覚めることになってしまった。もしあの頃、「女性学」に出会わず、思いを同じにする仲間たちに出会わなかったならば、何かにつけて「女」を意識させられる圧力に潰れていたかもしれない。ただ急いで付け加えておくが、学問的には男、女の別なく厳しく鍛えられ、感謝している。

思い返してみると、「よそ者」意識と「よそ者」を生む秩序への反発に駆り立てられてここまで来たように思う。そのためにとにかくがむしゃらに勉強した。それだけは自信がある。「文学をやる人間がドイツ語会話などという卑俗なことを学ぶな」と言われて反発し、ドイツの大学では「日本人は大人しい」「日本人は日本人同士群れる」などと言われて反発した。ドイツでは何よりも、自分は曲がりなりにも大学を卒業して留学したのに、ドイツ人の新入生に、読書のスピードや講義の理解や発言などが(当たり前だが)まったく太刀打ちできず、悔しくてたまらなかった。文字通り毎日泣きながら勉強し、昼間にゼミで言い損なったことを、夜、蒲団のなかで、ドイツ語でどう表現したものか、と繰り返し考えたりしたものである。京大の大学院時代も、やはり、女だからと馬鹿にされてなるものか、と、遮二無二勉強した。もちろんそれは苦しかったのだけれど、勉強すればするほど見えてくるものがある、そうするとまた新たな疑問が湧いて新しい視野が開けてくる。当然視されていたことを全く違う角度から見ることができるようになる。このような、新しい発見と新たなる疑問、新しい探索という連鎖の喜びがあり、その快楽を追い求めて今までやってきたと言っても過言ではない。

たしかに男社会の中の「女」として、妙なことにも沢山出くわしたけれども、「女」であるために余分な苦労をすることで得たものは多かったと思う。それを私は大切にしてゆきたいし、これから伸びゆく若い人たちにも、一見してマイナス要因に見えるものをプラスに転じてゆくような戦略をぜひ考えてほしいと思う。それと、良き仲間との出会いを大切に。

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