京都大学男女共同参画推進センター / Kyoto University Gender Equality Promotion Center

コラム

本との出会いを糧に「社会」を考える。

国際高等教育院 准教授 / 竹内 里欧 (TAKEUCHI Rio)

  • 京都大学文学部人文学科卒業
  • 大学院文学研究科修士課程修了
  • 大学院文学研究科博士課程修了
  • 大学院人間・環境学研究科 学振特別研究員
  • 椙山女学園大学国際コミュニケーション学部 講師
  • 京都大学大学院教育学研究科 准教授
  • 国際高等教育院 准教授(兼任 教育学研究科 准教授)
研究テーマ:
ナショナリズムと「文明化」の相克・融和のメカニズム/子どもと家族をめぐる文化:大正・昭和初期都市新中間層と児童文学の関係の文化社会学的分析

人生で出会った様々な本が研究を推し進める力に

私が研究している分野は社会学です。一言で説明しようと思うと難しいですが、社会が抱える問題や現象、人間の社会的生活などを幅広く追究する学問なので、教育や文化、歴史に産業と、いろいろなアプローチの仕方があります。私には二つ研究テーマがありまして、一つ目は、ナショナリズムと「文明化」の関係というテーマで、博士論文では、西洋のまなざしの中で近代日本社会がどのように自画像を描いていったかということを分析しました。たとえば、注目した現象として、新渡戸稲造による「武士道」のブームがあります。新渡戸は、1899年に『武士道』を英語で出版し、「文明化」された「東洋の代表者」たる日本にふさわしいジェントルマンシップとして「武士道」を再構築しました。彼は何故この本を書いたのか、そこにはどのような戦略がひそんでいたのか、また、その戦略にはどのような陥穽や危うさがあったかということを分析しています。これに関しては、芥川の有名な小説「手巾」が研究を推し進める力となりました。「手巾」には新渡戸をモデルにした人物が戯画化して描かれているのですが、物語の最後、主人公は得体の知れない「不安」にとらわれます。この、芥川が暗示した不安は何かという謎が分析をする上でのヒントともなっています。そして、二つ目は、大正~昭和初期頃の家庭小説・佐々木邦の作品分析です。文化社会学的な見地から、描かれた子どもや家庭のイメージを読み解いています。実は、佐々木の作品に出会ったのは小学1年生の時です。父が文系の研究者だったこともあって、家の本棚にはいろんな書籍があふれていました。そこにあった1冊が佐々木の『苦心の学友』でした。リベラルな雰囲気、上質のユーモアなど、子どもながらに面白くずっと心に残っていました。大人になって評伝的な興味から調べてみると、ユーモアに満ちた家庭小説を生み出しているのに、本人の方は冗談が苦手な真面目な性格であり、厭世的な考えや人間観を抱いているなど、背景が複雑であり、いつかもっと深く掘り下げたいと思っています。

日々迷いつつ

とはいえ、昔から研究者になると決めていたわけではありません。文学部に入学すると、同級生には、韻を踏んだ美しい英文をすらすら書く学生、西田幾多郎の哲学についてとうとうと話す学生など志高く才気にあふれる学生もちらほらいて、こういう人こそ文学部向きなんだろうなあ、私みたいなのが入るところではない、と思いました。しかし、そうした中でも、友達の影響や背伸び心で、いい本や映画、音楽などをたくさん教えてもらって味わう時間がふんだんにあったのがよかったです。研究の過程では迷うことが多かったですが、一つの転機となった本は、橋川文三の『日本浪曼派批判序説』でした。自分の実存的関心と思っているものが実は非常に世代や社会的なものに拘束されているという発見、文学的潮流と社会の接点、暗い部分に目配りした人間観など、刺激を受け、それまでどちらかというと小説などをただ面白く読んでいたのが、分析的思考の面白さに大変スローながら思い至りました。研究者になるためには、もちろん努力が必要なのですが、必ずしも努力が報われるということはありません。誰にでもおすすめできるとはいえないところがあります。現在、個人的には子育て中で、時間的制約が厳しく悩みつついます。まわりの優しさに甘えつつ研究者としていさせていただいているので、感謝を忘れず、そこでできることを一生懸命やらなくてはと思っています。


趣味は15年以上習ったピアノ。今は子育ての合間に少し。
3歳から高校3年生までピアノを習っていました(適当な感じで…)。院生時代は現実逃避的?に入れ込んでしまいましたが、今は保育園のイベントなどでたまに弾かせてもらうくらいです。


やや中毒気味のコーヒー。
共同研究などで滞在したフィンランドでもコーヒータイムがいやしの時間でした(写真はフィンランドの夏の夜の湖)。

 

 


ダメ学生だった私がいうのもおこがましいですが、京大や京都の町、学生文化には、知への憧れを満たす資源がたくさんあると思います。また、効率や即効性が要求される昨今においてもなお、カイヨワの聖・俗・遊分類でいうところの「遊」のような、純粋に楽しい学び(遊び)の時間を尊重する雰囲気も比較的あるようにも思います。そういった環境を活用し、知的快楽を存分に味わえる体験ができるといいなと思います。